シュレーディンガーのセネガル

昨晩(6月28日)のワールドカップ、日本対ポーランドはご覧になりましたか?

終盤、日本代表はパス回しに徹して、どっちに転ぶかわからない他の試合に予選突破を委ねちゃってましたが、なんでそんなギャンブルできたんでしょうね?

西野監督は未来予知とかできるのか?

「あなたの人生の物語」よろしく、決定論的宇宙観で世界を見ているのか?

あるいは、セネガルのゴールが未観測(重ね合わせ状態)のときに、日本代表がパス回しをしたことで「セネガルはゴールしない!」という観測結果に波動関数が収縮したのか?

などなど、なかなかSF的な妄想のはかどる試合でございました。

とまれ、次はいよいよ決勝トーナメント!

「Gガンダム」でいえば、ギアナ高地から香港にやってきたところ!w

日本代表にはぜひ頑張っていただいて、またSF的に面白い試合を見せて欲しいものですね!

~~~~~~~~~~~~~~~~~

うーむ、時事ネタを絡めようと書いてみたマクラですが、我ながら無責任だなぁ。

サッカーにほとんど興味ないのがバレバレですなw

まぁそんなこんなで、今回も新入荷はハヤカワ文庫の海外SFです。

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以上25点。

アシモフ、ハインライン、クラークの御三家やらホーガン、ベンフォードの正統派ハードSFが揃っている中で、個人的にオススメはバリントン・J・ベイリーの2作、長編『禅銃』と短編集『シティ5からの脱出』です。

前回ラインナップに『カエアンの聖衣』もありましたが、このころ、やたらとハヤカワで推されていたんですよね(ちなみに創元で『時間衝突』とかがでるのはもう少し後)

ワタシも当時、よくワカランけど面白いなぁなどと思いながら読んでいたのを覚えています。

しかし、こんなんばっかり読んでるから、世間様では喧々囂々マジメに熱狂しているワールドカップもあんな風に見えてしまうのでしょうなぁ。

困ったもんですなぁ(実は困ってないw)

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「ゲーム・オブ・スローンズ」は観るきっかけを逃した派です

今回はハヤカワ文庫SF、海外作家24点の入荷でございます。

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シリーズ物や巨匠・人気作家の長編など取りそろえております。

オススメはジョージ・R・R・マーティンの短編集『サンドキングス』ですかね。

HBOドラマ「ゲーム・オブ・スローンズ」の原作、「氷と炎の歌」シリーズで超大人気作家になりましたが、個人的には短編作家の印象が強い人なんですよね(長編シリーズが苦手ってのもあるのですがw)

収録作の「龍と十字架の道」はヒューゴー賞、「サンドキングス」はヒューゴーとネビュラ両賞を獲っていますし、短編作家マーティンを味わうには最適の作品集なんではないでしょうか。

とはいえこの人、アメコミのシェアードワールド(ex.マーヴルユニバース)の小説版といった「ワイルド・カード」シリーズなんかも手がけていたりして、なかなかに油断できない面白オジサンでもありますw

あと、完全に余談ですが、ワタクシ、タイトルどおり「ゲーム・オブ・スローンズ」未見でございます。

観ようと思ったタイミングでもう結構エピソードが進んでいたので、それっきり観ずじまいになっているというよくあるパターンなのです(そういえば「バトルスター・ギャラクティカ」も似たような理由で完走してない)

ちょっと調べたらamazonプライムでシーズン6までは観られるようなので、これを機に観てみましょうかね?

SFマガジンの表紙を眺めてみよう~!

前回の駄文で学んだこと。

なんか言うときはしっかり勉強する! そんでちゃんと構成を考える!

以後、気をつけますです……。

 

ということで気を取り直して!w

今回もSFマガジンが入荷しております。

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1985年~1986年にかけて、25点ご用意しました。

前回、1983年~84年は試行錯誤していた時期だったのかもと書きましたが、1985年1月号になると、表紙に「誌面刷新」とバッチリ入ってまいります。

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やっぱりいろいろ考えていたんですねぇ。

背表紙のデザインも、この時期に固まったものが長らく使われていくことになります。

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上が1983年~84年、下が1985年~86年。こう言っちゃなんですが、スッキリとして雑誌の背表紙として常用できるデザインになりました。

では雑誌の顔、表紙はどうなったかといいますと

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↑ こちらは1985年。鶴田一郎画伯の抽象的な表紙画。

なかなかにいい雰囲気ですね。ちょっと原点回帰的な狙いもあったのでしょうか?

で、これが1986年になるとガラリと変わります。

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↑ ジャーン! 天下のシド・ミードでございます!

いまもスゴイですが、当時はブレードランナーやらなんやらで大スターだったんですよね。

編集部、頑張ったんだろうなぁ。

内容的にも1986年は重要で、1月号にブルース・スターリング「蝉の女王」が掲載され、11月号は「サイバーパンク特集」が組まれ、その間、7月にはハヤカワ文庫SFで『ニューロマンサー』が出版されるなど、SFマガジンが(というよりも早川書房が)日本にサイバーパンクムーブメントを本格的に紹介し始めた年なんですよね(ホントは11月号の露払い的な10月号もあるのですが、残念ながら未入荷)

個人的には、文芸としてのSFが勢いを再び取り戻した(ように思えた)出来事として、すごく鮮明に覚えています。

『メカ・サムライ・エンパイア』でのロボット操縦表現について(いわゆる“操縦型ロボット”小説に共通するメソッド)

前回、『メカ・サムライ・エンパイア』のロボット操縦シーンに具体的な描写がないことに戸惑ったワタクシ。

それならば、他の“操縦型ロボット”小説はどうなっているのだろう?

と、思い立ち↓ 20180610_154415

商品とワタシの蔵書から、ロボット操縦シーンのありそうな作品をひととおり集めて比較してみました(『雪風』はメカニック操縦シーンの参考として)

で、各々の作品の該当シーンをナナメ読みしていくと、ひとつ、面白いことがわかってきました。

実は、ロボットを操縦する具体的な描写のある小説自体、あまり多くないみたいなんです。

『青の騎士 ベルゼルガ物語』や操縦描写だけの短編も存在する「フルメタル・パニック」など、操縦描写に枚数を割いている作品もありますが、どうもこちらの方は少数派のようです。

パイロットの操縦描写がなければ“操縦型ロボット”小説は成立しないのでは? とまで思っていたのですが、どうもそれはワタシの考え違いだったみたいです。

では、どのような要素が小説のロボット操縦シーンを成り立たせているのでしょうか?

疑問に思いながらさらにいろいろ読んでいくと、だんだんと共通のメソッドらしきものが目の前に現れてきました。

面白いものですね。なんにでも勉強のタネは尽きないものですw

ということで、以下、その共通のメソッドと思われるものを、実例を挙げつつ検証したいと思います。

 

 

次の一節は、ワタシが検証用にでっち上げたものです。

○○はステップを踏んで後退しながら、ライフルの照準を相手の腹部に合わせた。

手や頭のような小さな標的よりも大きく狙いやすいそこは、ロボットの心臓部、ジェネレータがおさまっている場所でもある。

相手の射線から逃れるために左右に動きながら、○○はトリガーを引いた。ダダダッとくぐもった轟音が響く。

 

どうでしょうか?

書いといてなんですが、よくわかりませんね。

敵対している相手はロボットですが、○○は果たしてロボットに乗っているのでしょうか? それとも、生身で立ち向かってるのでしょうか?

前後の文脈からも判断しないと、ここだけでは判然としません。

 

では、一ヶ所だけ変えてみましょう。

○○はステップを踏んで機体を後退させながら、ライフルの照準を相手の腹部に合わせた。

手や頭のような小さな標的よりも大きく狙いやすいそこは、ロボットの心臓部、ジェネレータがおさまっている場所でもある。

相手の射線から逃れるために左右に動きながら、○○はトリガーを引いた。ダダダッとくぐもった轟音が響く。

 

「後退する」を「機体を後退させる」に代えてみましたが、どうです?

ロボットを操縦しているのだなとわかるようになったのではないでしょうか。

「機体」と入っちゃったので少しズルですがw 使役表現の「~させる」とすることで、○○が何かに作業をさせていることは明確になりました。

ステップを踏んで後退する機体なのですから、○○が動かしているのはロボットだろうと容易に類推できるわけです。

 

次に、別の部分を変えてみます。

○○はステップを踏んで後退しながら、ライフルの照準を相手の腹部に合わせた。

手や頭のような小さな標的よりも大きく狙いやすいそこは、ロボットの心臓部、ジェネレータがおさまっている場所でもある。

相手の射線から逃れるために左右に動きながら、○○はトリガーを引いた。ダダダッとくぐもった轟音がコクピット内に響く。

 

最後に「コクピット内」を付け加えました。

若干あいまいですが、これでもわかりますよね。

それまでの一連の行動は、○○にとってはコクピット内の出来事だったのです。

コクピットにいて、ステップを踏んだりライフルを構えたり出来るのは、やはりロボットなのだろうと、ワタシたちは読み取れるわけです。

 

今度は付け足してみましょう。

○○はステップを踏んで後退しながら、ライフルの照準を相手の腹部に合わせた。

手や頭のような小さな標的よりも大きく狙いやすいそこは、ロボットの心臓部、ジェネレータがおさまっている場所でもある。

相手の射線から逃れるために左右に動きながら、○○はトリガーを引いた。ダダダッとくぐもった轟音が響く。

―― 友軍はまだか!

目の隅でレーダーを確認しながら、○○は歯がみした。

 

「レーダーを確認」したことで、○○が何かの機械を使いながら行動しているのがわかるようになりました。

前後の文脈がなければ、これだけでその機械がロボットなのだと断定することは出来ませんが、読む上で有効な手がかりになるのは間違いないでしょう。

 

 

ここまで拙文をもてあそびながら検証してみましたが、まとめると次のようになります。

  1. 動作の使役表現「~させる」があれば、装置の具体的な操作描写がなくても操縦しているように読ませられる。
  2. パイロットが操縦していると思わせるには「彼(彼女)がコクピット内にいる」シーンを挿入しておけばよい。
  3. モニタ等で機体の状態や周囲の様子を確認するシーンは、機器の操作シーンの代わりに有効な操縦表現になる。

 

ワタシがみたところ、多くの“操縦型ロボット”小説で、この3つのメソッドが操縦シーンを構成していましたので、これらはロボット操縦表現として定型的なものであると言ってもいいのではないかと思います。

 

さて、これを踏まえて『メカ・サムライ・エンパイア』を読んでみると、上記1、2はほとんど見られませんが、3の挿入が効果的に使われているのがわかります。

刀をつかんで計器を再確認した。またあのラッシュをかけられたら今度こそ耐えられない。僕のさっきの戦法も二度は通じないだろう。

ついでに右の肘が壊れているのに気づいた。少なくとも信号が届いていない。さらにべつの赤い警告灯も点滅しはじめた。脊柱シリンダに異常がある。

(文庫下巻 P.76)

 

1が使われないのは、ロボットの動きを生身のアクションのように描いているために使役表現と馴染まないからで、2が使われないのは、ロボットアクションと3のシーンの切り替えの中で2を入れる必要がさほどなく、3だけで充分だと判断されているためです。

実際、人間の格闘シーンのようなアクション描写の合間に3が挿入されるだけで、読者はそれをパイロットが操るロボットの戦闘だと認識していますし、後に3の挿入頻度が下がっても、それまでに読者には3のシーンが植え付けられているので、自立して動いているようなロボットのアクションシーンにも特に違和感を感じることなく、スイスイと物語の流れに乗っていくことができるのです。

 

 

なにやら長引いてしまった今回のテーマですが、最後、小説の部分はどこに着地するのか全くわからない状態で書くことになってしまいました。

なにせ、小説でのロボット操縦描写について書こうと思ったら、タネ本にするはずの作品にロボット操縦描写がほとんどないことに気づいちゃったのですからw

とはいえ、いままで特に意識していなかったものを、引っ掻いた程度ながら掘り下げることができたのは楽しい遊びでした。

 

ところで今回の話、他のメカニック、例えば自動車や戦闘機の描写などでも有効なのでしょうか?

2と3はまだしも、1などは擬人化可能なロボットだから出来る手法でもあるので、他に当てはめるのはなかなかに難しいかもしれません。

今回は資料不足なので考察できませんが、機会があったら探ってみたいテーマですね。

新入荷のお知らせ(SFマガジン)と『メカ・サムライ・エンパイア』でのロボット操縦表現について

今回は雑誌です。

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SFマガジン、1983年~1984年までの25点が入荷しました。

この頃は、雑誌としての試行期間だったのかもしれませんね。

各号の掲載内容が大きく変わっているわけではありませんが、背表紙の妙に不揃いな並びを眺めると、なんとなくそのようにも思えてきます。

パラパラとめくって目についたのは栗本薫(中島梓)。

「ゲルニカ1984年」が2号分載(1984年3月号4月号)で発表されていますし、1984年7月臨時増刊「ペリー・ローダン読本」では、鏡明とかなり言いたい放題の対談を繰り広げています(ファンは怒らなかったのかな?w)

また、グイン・サーガの外伝も掲載されている1984年9月号の『宇宙の皇子1』評では、ライトノベルがジャンルとして存在していなかった時期(『妖精作戦』は同年8月)に、このジャンルが現在にいたるまで持ち続けている小説としての危うさを的確に指摘していて、正直唸らされました。

とまれ、他にも大原まり子「ハイブリッド・チャイルド」や、神林長平「猶予の月」の連載があり、眉村卓「引き潮のとき」も1983年2月号から連載開始です。

「引き潮のとき」はずーっと載ってるイメージでしたが、ここから始まっていたのですねw(スイマセン)

 

というわけで、ここからは、このところ続いているロボット操縦表現についての記事です。

今回は話題のピーター・トライアス『メカ・サムライ・エンパイア』について

やっと本業に近づいてきましたw

 

『メカ・サムライ・エンパイア』のロボット操縦表現(その1)

さてこれまで、映像作品でロボットの操縦がどのように演出されているかをみてきましたが、ご案内のとおり、ワタクシの本業は古書店業なのです。

それならば、文芸分野も視野に入れておかないと!

てことで、最後は直近の話題作『メカ・サムライ・エンパイア』を材料にして、話を進めていこう思ったのですが……。

あらためてパラパラと読み返したところ、この作品、結構な問題があることがわかってしまいました。

『メカ・サムライ・エンパイア』には、具体的な操縦シーンがほとんど描かれていないのです!!

いや、主人公が作中の戦闘ロボット“メカ”を動かしているシーンはあるのです。

そりゃあそれがウリみたいな小説ですから、文庫上下巻計600ページ超の中にそういったクダリはふんだんに出てきます。

ただ、そういった部分で描写されるのは、“メカ”自体の動きなのです。

例えばこんな具合

穣太郎は何度か打ちかかってきたが、動きがわかりやすいので簡単によけられた。わざと一発打たれてやってから、下にもぐって顎にアッパーカットをいれた。続いて胸甲に一発入れると。穣太郎のメカはよろめいて退がった。そこで電震刀の柄に手をかけた。椙山師範に教えられたとおりの完璧な居合抜き。相手の胸を刺し貫くと、BPGがガラスのように砕けた。引き抜いて刀を鞘にもどす。
(文庫下巻 P.52)

この例のように、作者はほぼ全編で、ロボットの動きをあたかも主人公のアクションのように描写しているのです。

この小説を大変楽しい“ロボット操縦”小説として読んだワタシは驚きました。

どうしてワタシは、『メカ・サムライ・エンパイア』をロボットの操縦シーンがふんだんに出てくる小説だと思っていたのでしょうか?

 

考えてみると、確かに作者のピーター・トライアスはメカニックのハードウェアやインターフェースに無頓着なところがあります。

前作『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』から多用されているメインガジェット、スマホのような電子デバイス“電卓“にしても、それがどのような外形をして、どのような操作をするものなのか判然としません。

マスタースレイブシステムを基本としているように思える“メカ”の操縦方法にも、電卓をつないでゲームパッドのような操作で運用することも可能となっている設定などがあって、どうにもあいまいな点が多々あります。

 

そういったあいまいな点をごまかすために、作者はロボットの具体的な操縦描写を入れなかったのでしょうか?

確かに、そうかもしれません。

ですがそれでは、ワタシが操縦シーンと感じたものはなんだったのでしょう?

 

と疑問を残して今回はここまで。

次回、『メカ・サムライ・エンパイア』を離れて、他の“ロボット操縦”小説も確認してみることにします。(次で終わる(予定))

ロボット操縦演出から観た「パシフィック・リム」と「パシフィック・リム:アップライジング」

前回までは、ロボット操縦シーンの演出法について、時代ごとの変化を追いかけていましたが、ここからがやっと本番!w

それを踏まえて、個々の作品の話に入っていきます。

まずは映画「パシフィック・リム:アップライジング」について

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「パシフィック・リム:アップライジング」(以下、「アップライジング」)の話をする前に、どうしても前作「パシフィック・リム」(以下、「パシリム」)のことに触れておかなくてはいけません。

「パシリム」は、観ていて本当にワクワクできる映画でした。

いつもは、ああでもないこうでもないと映画に小理屈こね回してるオジサン(ワタシ)が、すっかり童心に返って楽しめましたからw

観ている最中は完全に主人公たちと一緒になって、巨大なロボット(イエーガー)に乗り込んでカイジュウと戦っているような気になっていました。

子供時代の空想が現実化したような、自分があたかもロボットを操縦しているような気分を味わえたわけです。

 

で、なんでそんな気分になれたのかと、いつもの小理屈をこねるオジサンに戻って考えると、これは操縦シーンの演出が優れていたからなのだなと気がつくわけです。

パシリムでのロボットの操縦方法は、二人の意識を融合させる(ブレインハンドシェイク)という特殊な手続きはあるものの、基本的にはマスタースレイブシステムです。

前回までに書いたとおり、この方式は操縦者の動きがダイレクトにロボットの動作になるので、えてしてロボットを操作する描写は薄くなりがちなのですが、「パシリム」ではそこに工夫がみられます。

「パシリム」では、操縦者が動くと、ワンテンポ遅れてロボットが動きます。

例えば、操縦者が一歩踏み出すと、ガシャッと足元のギアが噛み合って、そこからおもむろにロボットが歩き出す。

あるいは、操縦者がパンチを繰り出すと、エネルギーを充填するシュウィーンという音の後に(場合によってはご丁寧に技の名前まで言ってからw)ロボットのこぶしがうなる。

操縦者の動きとロボットのアクションの間に意識的に“溜め”を作ることで、人間が巨大な機械を動かしているのだと演出しているのです。

 

人間が機械を操縦している状態を演出するのに、“溜め”は非常に重要です。

「トップガン」では、パイロットがスロットルを押し込んだ後で、F-14はアフターバーナーを轟かせます。

「ワイルドスピード」では、ドライバーがシフトを3速に落としてクラッチをガツンとつないでから、ダッジチャージャーはタイヤを鳴らして加速していきます。

これらの演出をカッコイイ、気持ちいいと感じるのは、ワタシたちが機械を操るときに“溜め”が生じるのを経験上知っているからにほかなりません。

自動車を運転しているときや自転車をこいでいるとき、またはガスレンジをひねるときや掃除機をかけるとき、あるいはスマホを操作しているときを思い出してみてください。

意識していれば、これらの操作すべてに“溜め”があることが分かるはずです。

また、建設現場の重機などを見れば、操縦者と大型機械の動きとの間には重々しい“溜め”が存在していることにすぐ気づくでしょう。

よく「意のままに操る」や「手足の延長のように動かす」などと言いますが、それはワタシたちが機械を「意のままに」操れず、「手足のようには」動かせないから、特別な状態をわざわざこのように表現するのです。

 

「パシリム」では、ワタシたちが「イエーガーのような巨大なものを動かすには、これくらいの“溜め”が必要だろう」と予想するタイミングでロボットを動かしていました。

だからこそ、ワタシはロボットを操縦しているような感覚を、劇場の席に座りながら体験できたのです。

 

 

そして「アップライジング」なのですが、ロボットの演出に関して、今作は「パシリム」からがらりと変わりました。

 

よく言われているように、ロボットの動きは軽くなりました。

まぁこれはいいのです。

重厚さは減じましたが、その分アクションにスピードが加わりましたから。

問題は、動きの軽さに呼応するように、操縦描写のタイミングも素速くなったことです。

 

今回のロボット(イエーガー)は、操縦者が動くと間髪入れずにアクションをおこします。

ジャンプもキックも自由自在。武器もすぐさま発射できます。

ロボットが刃を避けるシーンでは操縦者もCGの刃を避けるという描写があるくらい、まさに、操縦者がロボットを「意のままに操っている」のです。

確かに、これによりアクションシーンのテンポは上がりましたが、それと引き換えに、ロボット操縦の疑似体験感覚に必要であった“溜め”の演出は大幅に減ってしまいました。

 

「トランスフォーマー」のように、ロボット自体のアクションを見せたいというのであれば、それもいいでしょう。

ですが、「トランスフォーマー」のアクションが成立しているのは、オートボットが“自立型ロボット”で、それ自身が操縦者不在のキャラクターだからだという点を忘れてはいけません。

イエーガーは“操縦型ロボット”なので、ロボットアクションと同時に、観客の分身である操縦者のアクションにも演出の重きを置かなくてはいけないのです。

その部分を軽く扱い、ロボット自体のアクションに比重を置きすぎている「アップライジング」は、ロボットアクションとしての出来はさておき、“操縦型ロボット”をメインに据えている作品としては、いささか残念な出来になってしまったと思わざるを得ません。

 

 

 

“操縦型ロボット”を実写でやる場合の困難というものを、「アップライジング」を観て考えてしまいました。

同じメカでも、自動車や戦闘機を扱う場合とは全く異なる困難が、このジャンルにはあるような気がするのです。

それは、ロボットが人間の形を模しているということと無縁ではないでしょう。

ワタシたちはそこに、機械以上の何か、機械に宿るはずのない何かを見てしまっているのではないでしょうか。

これが「トランスフォーマー」のような“自律型ロボット”なら何も問題はないのです。

そこには我々と同じものが宿っているのだから。

ですが、“操縦型ロボット”でその役目を果たすのは、コクピットに座る操縦者にほかならないのです。

操縦者が乗り込んだ瞬間、ロボットの目は光り、全身には力が漲っていく。

その姿を見る我々は、そこに何を見いだすのでしょうか。

力強くも魂なき機械を制御する英雄の姿なのか、それとも……?

困難は、ここにあると思うのです。

 

次回は『メカ・サムライ・エンパイア』から、小説でのロボット操縦描写を見ていきたいと思います。

入荷情報+“ロボット操縦演出”について考える(その2)

今回もハヤカワ文庫SF、25点の入荷です。

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ラリイ・ニーヴンの「ノウンスペース・シリーズ」を中心に、スペオペのシリーズものなどを集めております。

整理していたら思ったよりもダブりが多くなってしまい、作品点数としては少なくなってしまいましたがご了承ください。

 

さて、ということで思った以上に難儀している記事の第2回目です。

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3.近年のロボット操縦演出のトレンド

こんな長文を書いている時点でお分かりのとおり、ワタクシ、ロボットアニメというジャンルが大好きです。

で、当然ながら長年にわたってこのジャンルを観ているわけなのですが、ここ何年か、ずっと気にかかっていることがあります。

最近の作品では、パイロットがロボットを操縦しているのでしょうか?

もちろん近年でも、ロボットのアクションシーンではコクピットに座るパイロットの姿が挿入されて、彼が操縦しているのだというモンタージュは作られています。

ですが、そこで描かれるパイロットは、かつての「ガンダム」のようにペダルを踏み、レバーを動かしているでしょうか?

ただコクピットから半身を見せているだけのシーンが多くはないでしょうか?

近年のロボットアニメでは、パイロットの大きな役割はコクピットの中で台詞を話すことです。

たいていの場合、彼(彼女)のアップ(もしくはミドルショット)の後はそのままロボットのアクションシーンへとつながっていき、パイロットが具体的にスイッチやレバーを操作するシーンは挿入されません。

パイロットがロボットを動かしている具体的なシーンは、いまではほとんど見られなくなっているのです。

これは、視聴者のリテラシーが上がって、特に操作シーンを入れなくても、ロボットがどのように動いているのかは分かるようになったということかもしれません。

あるいは、30分テレビアニメの制約の中で、キャラクターやメカニックをより多く見せるための必然的な省略なのかもしれません。

いずれにしても、ここ何年かのロボットアニメでは“技を叫ぶ”や“動かしているシーンの挿入”とは別の、“単にパイロットのモンタージュを挟む”演出法が主流になっています。

ちなみに、前回の最後に触れたマスタースレイブシステムは、パイロットの動きがそのままロボットのアクションになる点で、この演出法とは非常に相性がいい操縦方法です。

 

4.「ガールズ&パンツァー」は、富野演出の正当後継者だ

「トップガン」や「ワイルドスピード」のアクションシーンは、なぜ面白いのでしょう?

理由はいろいろあると思いますが、主人公たちのメカニック操作シーンが随所に挿入されていることの効果は大きいでしょう。

マーヴェリックが兵装を切り替え、ドムがシフトノブをたたき込むから、ワタシたちは彼らと共にF-14やダッジ・チャージャーを動かしている気分になり、そのアクションにハラハラできるのです。

前回も触れましたが、富野由悠季がロボットアニメに持ち込んだのは、この実写作品で用いられている演出法です。

そして、この演出法を理想的な形で継承しているのが「ガールズ&パンツァー」です。

 

「ガールズ&パンツァー」は、世間的には美少女アニメ、若しくはミリタリーエクスプロイテーションアニメだと思われています。

まぁそれはその通りなのですがw

ワタシが惹かれたのは、なによりもまず劇中での戦車操縦描写でした。

装填し、照準し、発射する。移動して、また装填し、照準、発射。

一つ一つ、細かく気が配られている戦車操縦の描写に、ワタシはホントに感心しました。

おまけに、操縦している人間の個性や練度によって、同じ型式の戦車であっても挙動が違う描写などを見せられたら、もう脱帽するしかありません。

戦車を題材にしている作品ではありますが、ここでは近年のロボットアニメでは見られなくなった操縦シーンの描写が、見事に演出されています。

 

さらに、ドラマの多くの部分が戦車内で起こるという点にも強く惹かれました。

富野アニメの特徴の一つが、コクピット(ブリッジ)内でのドラマ描写だからです。

コクピット越しに対峙するアムロとランバ・ラルや、戦闘のさなかにアムロとララァ、シャアの間に起こる精神感応、イデオンの並列シートでの会話シーン等々。

「イデオン」で一定の完成を見るこの手法は、現在に至るまで、富野氏の演出の大きな特徴として認識されています。

そしてそれは「ガールズ&パンツァー」の中でも有効に用いられ、十二分な効果を発揮しています。

終幕でワタシたちが、戦車のアクションシーンの連続にもかかわらず、車内の乗員たちの様子までも想像することができるのは、それまでに車内での彼女たちのドラマを丁寧に描写しているからに他なりません。

 

操縦の細かい描写と操縦室内のドラマ。

この2点に関して、「ガールズ&パンツァー」は富野演出の正当後継者といって差し支えないのではないかと、ワタシは思っています。

と同時に、この成功作品の演出法を逆導入するロボットアニメがいまだに現れてこないことを、ワタシは非常に残念に思っています。

~~~~~~~~~~~~~~~~~

スイマセン、「ガルパン」の話は余談ですので、これだけ本文から浮いてしまっています。

どっかで書いておきたいと思っていた内容なので、無理に突っ込んでしまいましたw

 

これから、ようやっと本題の「パシフィック・リム」と『メカ・サムライ・エンパイア』の話になる予定。

次回(と、もしかしたら次々回)はもうちょっと早く上げられるのではないかと。