入荷情報+“ロボット操縦演出”について考える(その1)

今回の新入荷もハヤカワ文庫SFです。

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スタージョン、エリスン、オールディス、シルヴァーバーグ、ゼラズニイ、コードウェイナー・スミス等々、ニューウェーブ期のクセのあるところを集めてみました。

先日物故したル・グィンの短編集も入りましたので、ご興味のある方はぜひ。

 

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さて、前回エントリで予告していたロボット操縦演出の考察、短くまとめるつもりではあったのですが……。

案の定と言いいますかなんと言いますか、到底一回ではまとまらなくなってしまいました。

まぁ、よくよく考えると、複数のテーマにまたがりそうな内容を一回でまとめようと目論んだのが間違いだったわけで。

ここはひとつ、自らの能力不足を素直に認めて、何回かに分けて書いていこうかなと思っとります。

 

ということで第1回は、ロボットを操縦する作品てなんのこと? ってところから、それら作品で操縦演出がどのように移り変わってきたかまでを。

 

1.“操縦型ロボット作品”とは?

一体なんでしょう?

これを考えるために、ロボットの操縦に必要な要素を挙げてみましょう。

(1)ロボット

当たり前だろ! とか言わないようにw

操縦型のロボットというものは、その立場を飛行機や車などと容易に置き換えが可能なのです。

飛行機に変形するバルキリーやグロイザーX、バイクに変形するガーランド等は、ロボット形態もさることながら、飛行機やバイクの状態でも、主人公の愛機として充分な活躍を見せていたことを思い起こしていただけると分かっていただけるかと思います。

バルキリーやガーランドは、別にロボットにならなくても物語のメインガジェットとしては何ら不都合はないのです。

しかし、当然ながらそれはメカアクション作品であってもロボット作品ではありません。

操縦型ロボット作品には、“手脚の付いた、概ね人型の機械”が不可欠なのです。

(2)操縦者(パイロット)

“操縦型ロボット”とわざわざ断っているのは、ロボットを動かすのにこの存在が不可欠だからです。

操縦者を必要としないロボットの代表として「トランスフォーマー」がありますが、ここでは、便宜上それらの作品群を“自立型ロボット作品”と呼ぶことにします。

この両者、同じロボットを扱っているのですが、その作品中の位置づけと演出法は全くといっていいほど異なっています(【おまけ】に後述)

(3)操縦装置

操縦席(コクピット)でしょ、って?

いやいや、「鉄人28号」を思い出してくださいよ。

リモコンがなくては鉄人は一歩も動けないでしょ?

直接・遠隔関わりなく、ロボットを動かすために操縦者が用いるデバイス、つまり操縦装置が作品には必要不可欠なのです。

 

以上、ロボットを操縦するために必要と思われる要素を三つ挙げました。

つまり、“操縦型ロボット作品”とは、これら三つの要素がバランスよく配置され、的確に演出されている作品のことにほかなりません。

 

2.日本のアニメにおける“操縦型ロボット”演出の歴史

(1)ガンダム以前

「鉄人28号」の主人公、金田正太郎はリモコンで鉄人を操縦しましたが、実際の画面では(レバーを持ちつつ)声で命令を発し、それを受けて鉄人が動くという演出になっていました。

また、「マジンガーZ」では、頭部の操縦席(パイルダー)に乗り込んだ兜甲児が技の名前を叫ぶことで、マジンガーZは武器を発射していました。

このように、日本のロボットアニメでは、長年“操縦席でレバーを握り、武器の名前を叫ぶ”ことが、ロボットの操縦演出方法として定着してきました。

これは作画の手間を軽減するための措置だったのではないかと思われるのですが、これにより、日本のロボットアニメは良くも悪くも特殊な進化をしていきます。

技の名乗りに続いて、ロボットがやおらその武器を相手に喰らわせる。

この一連の見せ方が歌舞伎の見得のような効果を産んで、ロボットの戦いに一種の様式美のようなものを作り出していったのです。

(2)ガンダム以後

富野由悠季(喜幸)の演出が画期的だったのは、実写の戦争映画やレース映画で用いられていた演出法をロボットアニメに持ち込んだことでした。

「ガンダム」で富野氏は、ロボットのアクションシーンの合間にパイロットがペダルを踏み、照準器を覗き、トリガーボタンを押すシーンを挿入しました。

操縦装置の描写を省くことなく、かえってそこを詳細に描写することで、技を叫ばずとも「パイロットがロボットを動かして武器を発射しているんだ」ということを視聴者の子供に分からせたのです。

これまで、様式的な約束事の中でロボットの戦いを楽しんでいた視聴者は、この描写に衝撃を受けました。

端的に言って、ロボットが(モビルスーツという名称と相まって)一気に“本物っぽく”なったのです。

この演出法は、それまでの“技を叫ぶ”タイプの演出をあっという間に時代遅れにしてしまい、すっかり駆逐してしまいました。

「ガンダム」以降、80年代のいわゆる「リアルロボットブーム」の中で、主人公たちはみなスイッチを入れ、照準を合わせ、トリガーを押したのです。

(3)そして現在

リアルロボットブームが沈静化した後も、ロボット操縦の演出法は“動かしているシーンを挿入”するスタイルが主流となっていきました。

“技を叫ぶ”タイプの演出も散見されましたが、それは多くが旧作のリメイク作であったり、またその演出法を一種のギャグとして用いている作品でした。

そんななか、“技を叫ぶ”演出法を正攻法で用いて評価されたのが「勇者」シリーズや「エルドラン」シリーズです。

どちらも低年齢向けの作品ということで、分かり易さやケレン味を優先させるためにこちらの演出法を選択したのだろうと思われますが、そこで「ガンダム」以降の視聴者が、従来のロボットアニメが持っていた様式美をあらためて認識したという点は特筆しておくべきと思います。

また、これらの作品ではしばしばロボットが「トランスフォーマー」タイプの自立型であったり、操縦方法がロボットと主人公との一体化であるなどの、多様な試みがあったのも特徴でした。

そして現在、ロボットアニメの操縦シーンは、操作シーンの描写やケレン味たっぷりな技の名乗りはそれぞれ別個のものではなく、様々に組み合わされ、融合した形で演出に組み込まれています。

海外作品ではありますが、映画「パシフィック・リム」と小説『メカ・サムライ・エンパイア』は、間違いなく、これら日本のロボットアニメの多大な影響下で作られているのです。

(4)マスタースレイブシステム

最後に、近年増えてきつつある操縦法“マスタースレイブシステム”のことに触れておく必要があります。

“マスタースレイブシステム”とは、パイロット(マスター)の動きをロボット(スレイブ)がトレスする、つまり、パイロットが手足を動かすと、ロボットもその動きに追随して同じように動くという操縦方法のことです。

古くは「勇者ライディーン」や「闘将ダイモス」、また特撮の「ジャンボーグA」等で見られた仕組みですが、説明のつきやすい合理的な操縦方法ということで、最近しばしば採用されるようになってきました。

そして、このシステムでの操縦演出法は、上記の方法とはまた異なったものになっています。

パイロットの手足がロボットの手足と完全に一致しているので、ロボットアクションの描写がそのまま操縦の描写となり、パイロットの描写をさほどしなくても操縦型ロボットの描写として成立するようになったのです。

そういった意味では、先ほどの「勇者」シリーズにおける一体化型操縦法(「ガオガイガー」等)に非常に近い演出になっているといえるでしょう。

【おまけ】

“自立型ロボット”の演出法

さて、本稿では“操縦型ロボット”の演出について話を進めるわけですが、一方に置いた“自立型ロボット”にはどのような演出がなされているのでしょうか?

簡単に言うと、これらのロボットは「ウルトラマンのように演出されている」といえます。

自立して動くロボットとは、「鉄腕アトム」を引き合いに出すまでもなく、人知を超えた超人のメタファーとして表現されます。

彼らは機械ではなく、超人的な力を持ちつつ意思を持ったキャラクターとして演出されるのです。

こっけいなオートボットや勇者ロボ同士の友情エピソードなどを覚えている人もいるでしょう。

“操縦型ロボット”は基本的に道具でありメカ

“自立型ロボット”は基本的にキャラクター

この違いは、作劇の上で非常に大きなものです。

(以下、次回)

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入荷情報と予告

さて、今回の新入荷は、1970年代末から80年代初頭のハヤカワ文庫SFを24点です。

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前回、前々回入荷した「奇想天外」と同時期に刊行された作品ですね。

HPBからの文庫化が多くなってきて、いわゆる“青背”の出版が本格化し始めた時期ですかね?

メジャーなシリーズ作品が日本で本格的に流通し始めた時期でもあるのが分かります。

てことで、このなにかと興味深い時期のハヤカワ文庫、次回も何点か揃えて出荷の予定です!

 

さて、話は変わりまして。

先日、『メカ・サムライ・エンパイア」を読了しました。

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前作『ユナイテッド・ステイツ・オブ・ジャパン』では、重要なガジェットでありながらどう考えてもオーバーテクノロジーであり、作中で浮いている印象を拭いきれなかったロボット“メカ”が、今回は物語の中心に据えられての大活躍!

作者、本当はこっちが書きたかったんだろうなぁと思わせる痛快作で、文庫の上下巻、大変楽しませてもらいました。

また、このあいだは映画「パシフィック・リム:アップライジング」も鑑賞。

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前作「パシフィック・リム」では、頭を小学校4年生レベルにして興奮しまくっていたワタクシですがw

今回は面白く見たものの、そこまでの熱狂的な興奮は覚えませんでした。

そしてワタクシ、この2作を通じて少しマジメに考えたわけです。

「ロボットものの表現方法ってなんじゃろうか?」と。

で、頭の中でツラツラと考えたそいつを雑文にまとめて、後日こちらにアップ予定ですので、よろしかったらそちらもどうぞ。

先に結論を予告しておくと

「ガールズ&パンツァー」は富野アニメの正当後継者だ!

そして、マスタースレイブシステムは諸刃の剣だ!

ということになるはずですw

雑誌「奇想天外」について(後追い世代の感想)

えー、今回も「奇想天外」を用意いたしました。

1980年1月~12月号と1981年3月号、

それと別冊のNo.1~3、No.5~7の計19点です。

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復刊後の「奇想天外」ってのも面白い雑誌で、小説や評論といった保守本流の(と当時は目されていた)記事がある一方で、中子真治氏や石上三登志氏、小野耕世氏などが映画やマンガを定期的に紹介していたんですよね。誌面の中ほどには必ずマンガが掲載されてたし。

活字翻訳SF中心だった「S-Fマガジン」の向こうをはって、幅広くSFというジャンルをすくい取っていた雑誌だったのだなぁというのが、後追いで同誌に触れた者の印象です。

ちなみに、復刊後の同誌が休刊した1981年10月号のあと、その隙間を埋めるように「SFの本」や「SFイズム」といった雑誌が創刊(1982年)されているわけで、やはり「S-Fマガジン」が抑え切れていなかった部分をフォローする役割を担っていたのが「奇想天外」だったのでしょうね。

1970年代後半を思い返してみる

GWも後半になってしまいましたねぇ。

まぁ個人事業主にはあんまり関係ないんですがw

ということで、今回は雑誌「奇想天外」でございます。

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復刊第1号の1976年4月号~12月号と、1978年1月~12月号の21点です。

「宇宙戦艦ヤマト」の劇場版と「スターウォーズ」の公開が1977年で、「機動戦士ガンダム」の放映開始が1979年。

映像作品がSFファンの間で影響力を持ち始めた頃の誌面ですから、記事の中でも映像関係やSFファンの多様化についてなんてことが取り上げられています(ちなみに「スターログ日本版」は1978年)

また、1978年2月号と3月号で発表されている奇想天外新人賞に新井素子・大和眞也・山本弘の名前を見つけるのも未来人気分で楽しかったりします(ライムスター宇多丸氏がウィークエンドシャッフルで言っていた“雑誌トゥザフューチャー”ですなw)

とはいえ、この頃の私は三角ベースやったりミクロマンで遊んだりしていた鼻タレ小僧だったので、上記のようなSFファンダムの動きとは全く無関係に、「スターウォーズかっけーよな!」とか言ながらリコーダーでライトセーバーごっこやってましたw

あ、でも図書室で岩崎文庫のSF叢書を順番に読んでいたのもこの頃なのか。

自分がファンだとかオタクだとか意識しだす前の、ボンクラ黎明期ですなw