ソフト発売記念!「ブレードランナー2049」考察 第1回

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ソフト発売記念! とか勿体ぶってますが、要するに公開当時にまとめきれなかったものを、いいタイミングなのでちょろっと残しておこうと思ったわけです。

現時点でもまとめきれてませんし、しっかりとした解釈ができていない部分が多いのですが、2018年3月現在の頭の中をアウトプットしておきます。

まずは第1回として、本作で引用されている小説と登場人物の名前について。

 

1)「ブレードランナー2049」で引用される二つの小説

『青白い炎(PALE FIRE)』ウラジミール・ナボコフ

架空の詩人ジョン・シェイドが遺した長詩「青白い炎」とその注釈という体裁を取る本書の特徴は、注釈を執筆しているキンボートなる人物が、脱線に次ぐ脱線を繰り返す「信用できない語り手」であるという点です。

つまり、本書における「青白い炎」の注釈は、信用できないキンボートの視点にほかならず、読者はキンボートの注釈といいながら脱線していく話と詩文本体を対照しながら、その裏にいるナボコフ本人の意図を探っていかなければならないという作業を強いられるのです。

正直、通読しただけでは難解でおかしな小説としか思えず、偉そうなこと言っておきながら、私には上記のような読解はできませんでした。

ただ、「ブレードランナー2049」の鑑賞資料としては、本書の「信用できない注釈」という部分をおさえておくことが重要です。

ジョイはKに本書を読めとすすめ、署内でKは「青白い炎」の一節(Cells interlinked within cells interlinked ~)を暗唱するというテストを受けます。

これが意味するものは何か?

本作はKの記憶を元に、その記憶の確かさを確認しながらK自身のアイデンティティを探っていく物語ですが、実はそのK視点の物語こそ、我々が疑ってかからなければならないものなのではないか?

次回以降に後述の予定ですが、本作の結論は非常に腑に落ちない、曖昧模糊としたものです。

しかし実は、その曖昧模糊とした結末こそが、本作が意図したものなのではないか?

 

ちなみに、Kがテストで唱える一節は、詩人が死線をさまよって(黄泉の国で)見た風景の一部です。

参考までに、以下に引用しておきます。

A system of cells interlinked within

一個の主要細胞内で連結した細胞同士を

Cells interlinked within cells interlinked

さらに連結した細胞内でさらにそれらを連結した

Within one stem. And dreadfully distinct

細胞組織を。そして暗黒を背景に

Against the dark, a tall white fountain played.

恐ろしいほど鮮明に、高く白い噴水が戯れていた。

(岩波文庫 富士川義之 訳)

 

 『宝島』ロバート・L・スティーブンソン

この、海賊フリントが遺した宝の地図を巡る冒険物語は、『ジキル博士とハイド氏』などでも知られるスティーブンソンの代表作であり、日本では出崎統でアニメ化もされている有名作です。

デッカードがKに語りかける際に引用する「もしかしてあんた、いまチーズを一切れ持ってやしないかね? ~」という台詞は本作の登場人物、ベン・ガンの言葉です。

ベン・ガンという男は元海賊で宝島に置き去りにされ、海賊フリントが隠した宝物を別の場所へ移した人物です。

デッカードは、ベン・ガンの立場に自分を重ねていたのでしょうか?

 

2)登場人物のネーミングについて

哀しい運命の女性に「ジョイ」、冷酷な女性に「ラヴ」、男勝りの女性に「ジョシ」と皮肉なネーミングをしていることからも分かるように、本作のキャラクターは名前に意味があります。

「K」

本作の主人公の名前から、フランツ・カフカの長編『城』『審判』の主人公を連想するのは容易でしょう。

不条理な状況に放り込まれてゴールにも出口にもたどり着けないカフカの主人公たちは、本作のKが翻弄されていく様子に重なります。

ちなみにジョイに名付けられる「ジョー」というあだ名は、『審判』のKのファーストネーム「ヨーゼフ(英読みでジョセフ)」の愛称です。

「ウォレス(Wallace)」

スペルは異なりますが『宝島』でのフリント船長の海賊船「セイウチ(Walrus)号」を連想させます。

これが意味するところは不明ですが、フリント船長が宝を隠した張本人であるという点から連想を紡いでいくのは考えすぎでしょうか?

 

疑問形の多い書きぶりからお分かりのとおり、自分でも本当にまとまっていません。

次回もこんな調子ですがもう少し書きます。

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ワイドスクリーン・バロック

今回の新入荷は、ヴァン・ヴォークト(A・E・ヴァン・ヴォクト)を中心に、創元推理文庫25点です。

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ヴァン・ヴォークトといえばワイドスクリーン・バロック。

先日感想を載せた「最後にして最初のアイドル」もタイトルからは想像もつかない、ワイドスクリーン・バロックと呼ぶにふさわしいトンデモSFでしたが、もし、ヴォークトが現代にに生きてたら、あの手の作品を書いてたかもしれませんね。

アルフレッド・ベスターやバリントン・ベイリーはああいうのは書かないでしょうしw

【おまけ】

ちなみにハヤカワ文庫ではA・E・ヴァン・ヴォクト表記なのですが、そちらの作品はこちら↓

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これらもよろしくお願いいたします。

なお、「ビーグル号」は角川文庫版(赤帯)もあります。

バローズ美女といえば式部画伯

さて、今回の入荷はJ・P・ホーガンやE・R・バローズ等26点です。

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目玉は式部本一郎カバー画の『地底の世界ペルシダー』初期版(第3版)でしょうか。

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後の版では地底に入っていくペルシダー号のイラスト(映画の関係だったのかな?)に換わってしまったので割と短命に終わった表紙です。

個人的に、バローズ作品といえば式部美人画のイメージと結びついている(デジャー・ソリス etc.)ので、やはりこういう表紙画の方がしっくりきますね。

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子供の頃はこの表紙にドキドキしたものですw

ようやくの新入荷情報

2月の節分も過ぎてしまいましたが、ようやく新入荷分を更新しました。

今回は創元推理文庫の海外SFを25点

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レンズマン、アシモフ、シービュー号など、クラシックが中心となっております。

レンズマンはデイヴィッド・カイルのスピンオフ『ドラゴン・レンズマン』も。

ちなみに、在庫分には古橋秀之のスピンオフ作『サムライ・レンズマン』もありますので、こちらもぜひ!

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さて、しばらく更新が滞ってましたが、これからまた週一ペースであげていきますので、ひとつよろしくお願いいたします。

その昔、かなり本気のアイドルファンだった私が読んだ「最後にして最初のアイドル」

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2017年星雲賞短編部門受賞作、草野原々「最後にして最初のアイドル」を読ませていただきました。

ワイドスクリーンバロックとしか呼べないようなスケールのバカSF(褒め言葉)を、現代的かつユニークな語り口で飲み込みやすく料理していて一気に面白く読んだのですが、その昔、相当本気のアイドルファンだった身(なのですよ、実は)としては、どうにも気になるところがある作品でした。

で、その気になる点をつらつらと考えてみるに、どうも本作が元々アニメ「ラブライブ!」の二次創作小説「最後にして最初の矢澤」(こちらは未読)を改稿したものであるというのが大きく影響しているのではないかと思えてきました。

 

1)筆者の立ち位置

まず、本稿に関係するアイドル、アニメ、SFについて、私がどういうスタンスであるのかを明らかにしておいた方がいいでしょう。

(1)アイドル

◎2001年頃にモーニング娘。にハマり、後にBerryz工房にハマり、以降、2009年頃までハロプロ全般にハマる。

◎ハロプロから離れてアイドルと疎遠になるかと思いきや、偶然見たCS放送でアイドリング!!!にハマる。

◎TIF(Tokyo Idol Festival)をきっかけに、東京女子流やDorothy Little Happyが好きになる。

◎2015年、なんやかやあって(ググってください)アイドル関係から一気に離れ、しばらく距離を置きつつNegiccoなどを聴く。

◎最近はちょっとぶり返して、さくら学院やら欅坂46やらが気になっております。

(2)アニメ

◎幼少期に「マジンガーZ」を観て以来、松本アニメブームを経て、ご多分に漏れず「ガンダム」にハマり、「イデオン」で衝撃を受ける。

◎90年代、他に楽しいことが多かったのでちょっと距離を置いていたが、これまたご多分に漏れず「エヴァンゲリオン」で大衝撃を受ける。

◎以降、スタッフワークを気にするアニメファンとして、気になる作品をチェックしながら現在に至る。

◎ちなみに「ラブライブ!」は、サンシャイン!!も含めて全話(劇場版含む)鑑賞済み(声優さんのライブとかは観ておりません)

(3)SF(狭義の活字SF) 

◎小学校3~4年頃、岩崎書店の少年SF文庫でハミルトン「フェッセンデンの宇宙」の抄訳版を読み、大衝撃を受ける。

◎「ガンダム」の元ネタという話から、小6(だったかな?)で背伸びして『宇宙の戦士』を読む。

◎高校の時、親父がうちに持ってきた「SFマガジン」で「記憶屋ジョニイ」を読んで大衝撃を受け、SFを自覚的に読みまくる。

◎以降、つかず離れずでSFとつきあい続け、ジャンル中心の古書店を開くに至る。

 

2)アイドルの要件

さて、「最後にして最初のアイドル(以下、本作)」は、タイトルどおりアイドルを主人公に据えた小説であり、作中では“アイドル”が具体的な“モノ”を指す固有名詞として扱われています。

ですが、アイドルを少しでも真剣に考えたことがある人は分かると思いますが、“アイドル”とは非常に定義の難しい言葉です。

あくまでも個人的な整理ですが、以下にアイドルを成立させるために必要な要素を列挙してみます。

(1)アイドル本人

もちろん、アイドル本人がいないと話ははじまりません。

彼女(彼)がどのようなルックス、スキル、パーソナリティの持ち主であるかが、アイドルを構成する重要な要素であることは論を待たないでしょう。

(2)活動(歌、ダンス、芝居、グラビア等)

部屋で布団をかぶっていてはアイドルとはいえませんので、アイドルは外部にアピールするための活動を行わなくてはいけません。

多くのアイドルが複数の活動を並行して行っているのは、彼女(彼)たちがどのスキルにも特化されていない故なのですが、この「すべてに未熟」こそ、アイドルの重要な要素です。

(3)ファン(異性、同性)

活動を通じて、アイドルはファンを獲得します。

彼らの動機は別項でまとめますが、重要なのは、彼らが主体的な動機によりファンになるという点です(アイドルはファンに「見つかる」ものなのです)

(4)運営(芸能事務所、レコード会社、メディア企業等)

しばしばオブラートにくるまれて語られますが、芸能が三次産業の一端である以上、アイドル活動は紛れもなく経済活動です。

一般的にアイドルとは、有償の活動を行い、ファンの支出から収益を上げるというビジネスの一翼を担います。

(余談ですが、AKBの隆盛以降、ファンの間ではアイドルビジネスの母体を指す用語として“運営”という用語が浸透しています)

 

3)ファンのスタンス

上記 2)-(3)で挙げたファンですが、彼(彼女)らはどのような動機、スタンスでファンとなっているのでしょうか。

以下、いくつか挙げましたが、実際はこれらが複数入り交じった形でファン心理は出来あがっています。

(1)疑似恋愛対象

一般的に、アイドルのファンといえばこの動機が一番だと思われがちです。

最近はそうでもなかったりするのですが、アイドルと年齢の近いファンの動機としては、依然として有力なものでしょう。

(2)性的興味の対象

(1)からの連想として、外部から思われることの多い動機です。

実際は少数派なのではないかと思うのですが、グラビア系のアイドルでは多数派になる場合もあるでしょうし、言下に否定できないところではあります。

(3)疑似保護者(見守り)

30代以上の年長ファンがローティーンのアイドルのファンとなる場合によく見られる動機です。

後述の(7)と相互補完の関係になることが多いと思われます。

(4)憧憬の対象

同性のファンによく見られる動機です。

ファッション誌のモデルも兼務するアイドルのファンが典型かと思われます。

(5)観劇的視点

この動機は少し変則的です。

グループアイドル(若しくはアイドルグループ間)の人間関係をライブドラマとして楽しむファンはこれに当てはまります。

ハロプロ以降よく言われるようになった「アイドルはプロレス」という言葉に代表される動機だと思います。

(6)楽曲派、パフォーマンス派

曲が好き、ダンスが好き、という動機です。

(4)とともに、新たなファンの入口になることが多いです。

(7)応援

文字どおり、純粋に活動を応援したいという動機です。

多くの場合、2)-(2)で触れた未熟な活動を背景にしています。

これ単体で成立することは少なく、他の動機とともにファン活動のベースを形成します。

金銭の支出と強く結びつくのも特徴です。

(8)自己投影

本作において重視されている動機です。

こちらも多くの場合、未熟な活動を背景としています。

頑張っている、努力して輝いている姿に自分を重ねるというスタンスですが、(7)と同様、これ単体では動機として成立しにくいものです。

 

4)ラブライブ!において排除されている要素

ここまで、アイドルの成立要素について私見を述べました。

これを踏まえて、次にアニメ「ラブライブ!」について考察してみます。

先述の要素について慎重な操作が行われているという点で、「ラブライブ!」は非常に興味深い作品です。

アイドルを女子校の部活動と設定した「ラブライブ!」では、次の要素が意図的に排除されています。

(1)異性のファン

(2)運営

アニメ本編を観ると分かるのですが、「ラブライブ!」におけるアイドル活動は、アイドル本人+活動(歌とダンス)+同性のファン(ときどき応援者として登場)で成り立っています。

つまり、「ラブライブ!」においては、異性とビジネスという大きな二つの要素が存在していないのです。

これにより生じる効果は、物語の純化です。

上記の要素を排除し、アイドルたちの活動そのものをクローズアップすることで、少女たちの努力と友情を核とするサクセスストーリーを、ストレートかつダイレクトに伝えることに成功しているのです。

これは、少年漫画の集団スポーツもの(ex.「キャプテン」「スラムダンク」「弱虫ペダル」)の構造に非常によく似ています。

 

5)「最後にして最初のアイドル」について

さて、先述のとおり、本作は元々ラブライブ!の同人小説です。

ゆえに、4)で指摘した「意図的に要素を排除したアイドルの姿」がそのまま前提として存在しています。

つまり、本作においてアイドルとは、自身の活動によって成立するものであり、ビジネス(運営)と外部の評価(ファン)は必ずしも要件ではないのです。

事実、主人公は自らの活動のみでアイドルとしてのアイデンティティを確立し、そのまま、自己完結の極みともいうべき存在へ向けてメタモルフォーゼを繰り返していきます。

そして、ついに唯一無二の存在にまで変態を遂げた主人公は、SFとしかいえない手法で、“ファンを生み”出した末、まさに“最後にして最初のアイドル”となるのですが、そこで主人公がたどり着いた“アイドル”は、先の述べたとおり、一般的な“アイドル”の一部要素を肥大化させたものでしかありません。

私が本作を楽しみながらもいまひとつ乗り切れないのは、この、作中での“アイドル”と、私が考える“アイドル”との違いと、その違いそのものが作品の推進力になっていることに対する違和感が原因なのです。

 

このように、“アイドル”という観点では違和感を感じざるを得ない本作なのですが、これは、同人小説からの改題によって生じた違和感であるように思います。

同人小説の原題は「最後にして最初の矢澤」でした。

改稿版で「アイドル」とされた部分は、アニメキャラクター「矢澤にこ」の固有名詞だったのです。

つまり、本作におけるアイドルの行動原理、彼女を構成するアイドルとしての要素は、本来、包括的な「アイドル」という名称ではなく、個人「矢澤にこ」一人に還元されるものだったのです。

アイドルという広く抽象的な存在だと違和感が生じる部分も、具体的なキャラクター個人のパーソナリティなのだと考えれば納得がいきます。

本作の“アイドル”に自己同一化するのは御免被りたいところですが、“矢澤にこ”に同一化するのはまぁ仕方ないかもしれません(イヤだけどw)

 

最初に書いたとおり、本作はSFとしては大変面白いものです。

その上で、本作はやはり「矢澤にこ」(及び「西木野真姫」)への愛情で書かれた二次創作小説こそが完成形なのではないかと思うのです。

 

(執筆BGM:アイドルネッサンス「アワー・ソングス」「前髪がゆれる」)